【寧々ブログ】不登校…専門家の意見が辛い時は誰を信じればいいの?

子育てブログ
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子供の不登校。
その時お母さんはどうしたらいいのでしょうか。

何を信じ、誰の言葉を信頼するのかで結果が大きく変わります。

不登校の子供を持つと、周りの人々からは色々なことを言われるし、言われたことが正論であればあるほど『できない』『叶わない』と、そんな現状に戸惑い、自信を失うことも多くなります。

それは良いことではありません。

今回は子供が不登校になった時、『何を信じて』『何を信じてはいけないのか』を、実際の経験を元に、子供と接する時間が一番多くなることの多いお母さんのために書いていこうと思います。

本来なら、家族全員の共有事項として書きたいのですが、ワンオペで乗り切った自分には家族の助け合いの経験がなく、家族みんなで支え合いましょうと書くことは嘘になるので書きません。

その点はご了承ください。

Contents

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寧々のプロフィール

・幼少期より親からの支配により自分を見失って生きてきた。

・結婚してからも配偶者からの無視や経済DV、モラハラを受ける。配偶者家族からもモラハラを受け『いつも笑顔のいい人』をやめる。

・長男が2011年小学校3年生の時に、教師からの暴言や暴力(本人証言。学校側は一部認める)、同級生からのいじめにより、6年間の不登校・登校支援生活に入る。(不登校期間は一週間・母親同伴の保健室登校から開始)

・2020年4月。ワンオペでやりきった18年間の結婚生活を終え、離婚。

・離婚後、2020年5月に次男が中学校1年生で不登校になるが、長男の一件での経験を生かし、スピーディーなカウンセリング対応と次男の気持ちを受け入れることで、2ヶ月で、週一日の登校復帰を果たす。今後も完全復帰は次男に任せていく予定。

・長男は現在高校3年生になり、専門学校進学が決まった。(←いまここ)

不登校…専門家の意見が辛い時は誰を信じればいいの? 

『子供の不登校』は、ほとんどの人が経験のない未開の地。

母親が子供の不登校に直面すると、大なり小なり自分の自信を喪失し、子育てに迷います。

『甘え』だとか『ひきこもり』といった偏見にも直面します。

そのために、母親も自分に自信が持てなくなり、他の権威ある何かに依存してしまいがちになります。

でもそれは、つきつめると、ある意味、無用です。

自分の感性を信じましょう。

子供に対して、カウンセリングが必要な場合など、対応がきちんと取れていれば、子供の心の回復を待つのが良いと考えています。

周囲や専門家の意見は参考として、必要なものだけを選び取って、検証するのが良いでしょう。

・不登校の専門家の意見は万能なの?

正直そんなことは無いと考えます。

子供に提供する時期も大切です。タイミングと提案方法を間違えると子供は心を閉ざします。

専門家の提案するどんな方法も、子供が受け入れても良いと言ってから、実践してみて、受け入れられるかどうか、様子を見るのが正しい方法だと思います。

私自身の9年半の不登校と通院の生活の中で、専門家で必要な意見をくれたのは、子供の通う病院の医師と臨床心理士、最初に受けたカウンセリングルームの教授だけでした。

その他のエゴの詰まった意見は子どもの状態を悪化させたし、自分の中にある『もとに戻したい』と願う気持ちも排除していくべきものと悟りました。

子供の不登校の原因は一つではなく、子供の性格も性質も千差万別。

専門家が提供するものが必ず不登校を終わらせたり、絶対に大丈夫だと断言できないのが現実です。

不協和音に苦しまないためにも、不登校の始まりは特に、関わる人間を最小限にし、雑音を消し去ることが理想的です。

母親が自分を信じ、子供を決して見捨てず、不登校を無視しながら、不登校と向き合うことが重要です。

専門家の言葉に惑わされない信念を持つことで、母親としての自分の心を守り、武装することができるようになるはずです。

子供が不登校になると母親は自分のそれまでの子育てを否定されたような気持ちになるでしょう。自分が築きあげてきた生活や子育ての方法、そして人生そのものを否定されたような気持ちになるかも知れません。

そんなさまよう心が頼ってしまうのが専門家の意見だと思います。

ですが、専門家の意見を鵜呑みにせず、今その時の子供にとって必要かどうかが判断できるまで、納得行くまで時間をかけて検証してみるのが最良と思います。

最大の敵は【焦り】です。

・不登校の専門家は何を提供している?

不登校から復帰するために、専門家が提供するサービスにはどんなものがあるのでしょうか。

【支援プログラムの種類】

●全寮制の寮生活

『自立・更生・就労』

・全寮制で子供の自立を目指す。

●睡眠改善プログラム

不登校と睡眠について関連を調べて、改善に取り組む。

医師や保健師、心理士などによる個別の睡眠カウンセリングや教職員へのレクチャーなどがある。

●登校支援プログラム

日帰りから海外活動まで、たくさんのプログラムが有るものもある。

●認知行動療法を用いたストレスマネジメントによる支援プログラム

・不登校に対して、臨床心理学では、

『来談者中心療法』『箱庭療法』『プレイセラピー』『精神分析療法』

などが行われる。

認知行動療法は子どもの成長と回復のスピードに寄り添う療法なので、とても効果が高いと思います。医師の選定は大切ですし、臨床心理士との相性も関係すると思います。

徳島文理大学の研究報告は共感できる部分が多く、とても興味深かったです。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/tokusimabunriu/96/0/96_143/_article/-char/ja/

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【時事.com記事よりの引用まとめ】

2019年に不登校を理由に小中学校を30日以上欠席した児童生徒は18万1272人で、過去最多を更新したそうです。

7年連続の増加で、約10万人が90日以上欠席しているということです。

【内訳】

小学校5万3350人(増加)

中学校12万7922人(増加)

高等学校5万100人(前年を下回る)

【不登校の主な原因】

・『無気力、不安』が最多

・『いじめを除く友人関係』

・『親子の関わり』

【再び登校した子供の割合】

・全体の22.8%

【不登校の増加の原因】

・不登校の増加について、文部科学省は「憂慮すべき状況」としつつ、休養の必用性や支援強化をうたった『教育機会確保法(2017年)』の浸透によると考えている。

【元記事】

時事ドットコム

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【文部科学省の支援の在り方についての通知】

令和元年10月25日に文部科学省から

『不登校児童生徒への支援の在り方について』

という内容が各都道府県の教育長などに向けて通知されました。

https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1422155.htm 

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文部科学省は、フリースクールなどの民間施設やNPO等と積極的に連携し、相互に協力・補完することの意義は大きいと言っています。

もちろん、そう思うとともに、子供が回復するなら、母親としてはどんな方法でも頼りたいとも思います。

学校へ行くことが無理ならば、各プログラムへの参加は、子どもの負担にならないなら、どんどん活用すれば良いと思います。

しかし、負担にならないかどうかをきちんと子供と話し合ったり、子供からの求めを待ったりして、親や取り巻く人々が本人の気持ちを無視、またはコントロールすることにより主導する、身勝手な押し付けにならないように気をつけることが大切だと思います。

子供は矛盾を理解している

不登校の子供を持つ親についての専門家の意見で多いのはどんなものでしょうか。

子供が学校へ行けないのはなぜか。という疑問を持つ時、よく聞く答えは下記のような事柄では無いでしょうか。

専門家だけでなく、母と子を取り巻く人間関係の中で、必ず登場する言葉でもあると思います。

【不登校の子供を持つ親についての専門家や周囲の意見】

・『不登校になるのは親子関係が悪いからだ』

・『不登校になるのは母親が甘やかすからだ』

・『不登校になるのは母親の子育てが間違っているからだ』

・『不登校になるのは母親が虐待しているからだ』

そんな言葉が冷酷に母親に浴びせられます。

本当に母親のせいなのでしょうか。

そんな事はありません。

子育てを母親しかしないという前提で発せられる意見は、子育てをやりたくない人たちの無責任の意見では無いでしょうか。要するに、24時間365日、大変な子育てから逃げたいから、母親のせいにして逃げているだけ。

そんな言葉を子供に聞かせるのも恥ずかしいですね。

自分は何も行動を起こさず、母親に『やっとけ』ということ。

子供に何かあったら『母親のせい』。

何故かそういう言葉の生まれる場所には、そういう言葉しか生まない人しか集まらない。

残念です。

本当に愛情の有る人間は、全身全霊をかけて子供を守るべきときには守り抜くのでは無いでしょうか。少なくとも、母親のせいにして自分は蚊帳の外に逃げたりはしないでしょう。

 

母と子を取り巻く人々の無責任な言葉に惑わされないでください。

私自身、何度も虐待を疑われ、人格を否定され、子供と引き離そうとまでされました。

子供はそれを望んでおらず、母親に助けを求めているにも関わらず、です。

個人的には、母親の性質を否定してくる専門家の意見は信用してはいけないと思っています。
母親である『一人の人間』の人格を否定して、物事の原因を隠匿する人々も居ます。

子供にとって良くないのは、母親を否定し粗末に扱う人々のほうだと思います。

子供は否定され続ける母親を見ています。その中でもがき苦しむ母親を見続けています。このことは、子供の心に深い傷を残します。そのことに意識が行くことなく、母親を攻撃し続けるのです。

周囲が自分の過ちに気づいて、行動を正していくことも必要です。分かっていながら放置し、取り返しのつかない状態になってから、ようやく気づき、それからどんなに取り繕おうと、子供の記憶も、母親の記憶も変わりません。一度完全に失った相手への信頼する気持ちは二度と元に戻すことはできないのです。

母親と子どもの命を守るためにも、責任逃れはやめましょう。

 

大人たちの対応を目の当たりにする子どもたちは、いやが上にも成長しなくてはならない状況におちいります。そんな大人たちの矛盾に満ちた様子を見つめています。どちらが正しく、どちらを助けるべきか。子供はちゃんと見ています。

『どうせ子供だから』

『まだ小さいから』

は通用しません。

子供は矛盾をちゃんと理解しているのです。

母親だけが子育てをする前提の解釈の植え付けは、ただの責任のなすりつけの攻撃に過ぎず、それによって母親が現在よりももっと強烈な劣等感を抱き、自己否定に走る可能性があります。

そんないことは決してあってはならないのです。

不登校における母親の役割は、子供の心を回復しながら、子供の心を愛情で満たし、未来に子供が自分の居場所を見つけて不登校から抜け出していく道筋を作っていくことなのです。

・不登校の専門家よりも信じるものはなに?

不登校の子供と一緒にいる時間が一番長い人が、他人に流されない信念を持って、不登校を乗り切ること。これが何よりも大切です。

多くの場合それは母親です。

周囲の人々の声、専門家の声、学校の声。

思い悩んで自己を否定し、他人の押し付けてくる色々なことを受け入れ、試す時間はもったいないです。

不登校になったらすぐに、子供と自分の心を守り、自分の信念を見極め、大まかな子供の心の状態を把握し、子供にとって適切で最適な選択をしましょう。

そして、お母さんがこれまでの自分に自信を持つことです。

『子供を授かり、何もわからない状態から、頑張って子供を育ててきて、病気の時も見守り、たくさんの笑顔を作ってきたのは、他でもないお母さんあなた自信です。だから、どうか、人の言葉に振り回されないでください。あなたが選び取ると決めたことだけで充分なのです。』

シンプルに、子供にとって提示される一つの選択はどうなのかの検証には時間をかけ、確信を得たら決断する。それくらいのゆっくりさで、良いと思います。こどもも、最初は急激な変化には負担感を持つでしょう。

口や意見は出しても手助けしない人の意見に惑わされる必要はありません。あなたとあなたの大切な家族の未来を支える人は、他でもないあなた自信です。他人の意見は参考にはしても、鵜呑みにはせず、子供の未来を手放ことなくすごしていきましょう!

 

しかし、不登校の専門家の言葉は荒唐無稽な理想論に過ぎないのかという疑問は、必ずしもそうとは言い切れません。子供が受け入れるまでには、順序があるということです。

日々子供と接していない人に、何故子供の行動や未来を決定する権利を持たせてはいけません。

『すべての決定権は子供に持たせるべきです』

そういうと語弊がありますが、子ども自身が決めることを助けるのがお母さんの役割だと思います。子供が選び取ったように感じさせるのも。

不登校の初期の段階で専門家の意見や支援が必要なのは、子供の心のケアのみです。それ以外の思考を入れては悪化するだけだと思います。

子供の心が回復する時間を持ちましょう。

新しい何かをするのは子どもの心が回復してからです。

順番を間違えてはいけませんし、絶望感から人に頼りすぎてもいけません。

『最低限で最高の支え』を子供に与えましょう。

不登校の子供の気持ちと、支える側の気持ち。そのギャップが大きくならないように、子供と常に話し合うことを習慣にすることが子供を安心させます。

大切なのは、子供に向けて自分の言動が学校へ行って欲しい欲求からではないか常にチェックすること。

押し付けにならないように、子供が決めるように、言葉を選んでみる。ちょっとした対応の仕方が子供の自立心を育て、成長へと導くのです。

そうすることで、子供が無用な傷を深める言葉を浴びなくて良くなります。

不登校対応で大切なことは少なくていい。

子供に対してどういう言葉をかけ、どのように、どこへ導いてゆけばよいのか。

それをプロデュースするのがお母さんの役目です。

子供が学校へいけなくなった理由を延々と考えることは無意味です。

そこにとらわれたり、学校へ行って欲しいとこだわると、子供は心を閉ざします。

せっかく自宅という居場所を得たにも関わらず、理解者のいない状況に、絶望してしまうでしょう。

・不登校の出口は一つではなく、いくつあっても構わない。

何も考えずにただ専門家に頼ることは、親の思考停止です。本当にそうしなくてはならないやむを得ない理由がなるならそれで良いと思います。しかし、そうでないなら親としての役目を放棄しないようにしましょう。

なぜそう思い至ったかというと、学校へ連れていけば連れて行くほどに、状態の悪化する長男の姿を見ていると、日々これで良いのだろうかという不安が襲ってきたからでした。

学校への登校について、疑問を感じて、再検討したきっかけの1つ目は、小学校3年生のとき。学校へ入ることもできない長男を、なんとか説き伏せて、一歩ずつ学校の中へ入れる作業を続けなくてはいけなかったからです。子供への負担が大きく、母親である自分にとっても不快でした。

当時の学校は登校させることに固執していました。

子供にもそれは伝わっていたのでしょう。

日に日に子供の状態が悪化の一途をたどりました。

学習に関わることを促されれば、素直な性格が故にテストやプリントをし始めましたが、何かをきっかけに、パニックを起こしたようになり、それから頭を抱えて大きなセンターテーブルの下にうずくまり、大声で泣き叫ぶのです。何度かそんなことを繰り返しました。

結局、学校内での学習を切り離さざるを得ませんでした。

きっかけの2つ目は、小学4年生は少しだけ回復の兆しが見え、期待もした次の年、小学校5年生のとき。安定しているように見えた状態が急激に悪化しました。

暴力的な状態が続き、教室はおろか保健室登校も危うくなりました。学校には行くけれど、机などを細い体で投げ飛ばしたり、ものを窓から投げ捨てるなど、メチャクチャな状態が続きました。(本人は現在は記憶に無いようです)

それから、子供が、学校に行くことによって人格を壊しているのでは、と思うことが続きました。

次第に学校に毎日登校することを諦めるようになりました。

そして、気づいたのです。

最低限行って、帰ればいいんだ!

本当は、完全不登校にすべきでしたが、当時の文部科学省の方針は不登校を許してはくれませんでしたので、学校もあの手この手で子供を登校させてくれと言ってくる感じでした。

なので、『五分でも行ければそれでOK!』として、顔を出せばすぐ帰宅でも良いとしました。

 

不登校になった子供を、なぜ一つの場所、『学校の教室』に返そうとするのでしょうか。

その必要性は?

そんな疑問が生まれた時に、ようやく自分の視界がひらけました。

一つの観念を押し付けることで、子供の未来は狭まり、絶望感を抱くでしょう。

・それが本当に母としての自分の望み?

・子供が笑顔で居ることでは?

・子供が自分の人生を切り拓けるようになることでは?

・子供が幸せになることでは?

そこにフューチャーすると、大抵のことは気にならなくなります。

幸せになるための出口は、一つでなくて良いのです。

子供が自分の力で幸せになるにはどうするか。

それだけを目指していれば、出口はどこでもいい。

子供にとって正しい場所なら。最高。

専門家からの意見の受け取りやサービスの利用は、不登校の初期には最小限にし、子供の様子をよく観察し、回復の度合いによって取り入れるべきを取り入れて見てはどうかと子供に確認しましょう。

【不登校は不幸ではない】Yahoo!ファイナンスの記事

Yahoo!ファイナンス
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・回復の段階ごとにサポートして表面上では子供に全てを任せる。

人生は結局、なにごとも自分が決めていくべきものです。

なので、不登校になった時点で、行きしぶりが始まった時点で、しなくてはならないのは、子供が自分の人生を自分で決める癖をつけること。

子供だからと言って子供の意見を無視したり、小さなことから、大きなことまで、人生の決定権全てを奪ってしまっては、子供が自立していけません。

子供が中心でいいのです。自分の人生を決めるのは子ども自身。

例え本人が決定していないとしても、本人が決定したと思えるようにしてあげてください。

どんな小さな事柄も、不登校の子供本人が成功体験を積み重ねて行くことが大切なのです。

・子供の話を聞き続ける姿勢を持とう。

子供が不登校になったからと言って、子供の存在を特別視して騒ぎ立てたり、理解できないことに絶望して子供を育てることを放棄しないことが大切です。

子供は不登校になることで一度、自己肯定感が崩壊します。

自分の中の自信の全てを失います。

そんな時に、不登校の状態になった、または不登校の状態が長引いて居るからと言って、子供が望まないにも関わらず、子供を他人に任せたりするのはおすすめできません。育てる側の自信が無いからという気持ちで、子供を完全に他の人に任せることは、子供を心理的に見捨てることに繋がります。子供はひどく傷つくでしょう。

それでもやむを得ず外部の施設などを利用するときには、子供の気持ちを何度か確認し、子供が見捨てられたという感情を生まない方法を考えましょう。

もちろん、子供を支える側の負担は尋常ではありません。それでも、子供を見捨てる行動は避けましょう。

不登校だからこそ淡々と日々をこなすことが大切。

不登校を特別視しないことはとても大切です。

特別なことなのになぜ特別視しないほうが良いのでしょうか。

答えは簡単です。

不登校の子供にとって、自分の状態を特別視されることは、大きな心の負担になるからです。

・大げさな『褒め』はいらない。

親や周囲の感情は必要ないのです。ただ子供の努力を受け入れる、その行動が大切です。

『学校に行くことはぶっちゃけどうでもいい』のです。

大切なのは子供が自分の生活を楽しんでいく中で心を回復し、自分の未来に目を向けるようになれるか。

やたらと騒ぎ立てるように、子供が学校に行ったことや、できたこと、できることを褒めちぎるのは逆効果です。

周囲からそれをされてしまった時は、その場を離れてから、冷静に『あれがあの人の感想なんだね』と伝えましょう。

できるだけ早く、言葉による子供へのコントロールから遠ざけることが大切です。

それとともに、可能なら、そういう行動をしないよう学校や周囲の人と話し合いましょう。

・不登校の子供の状況に一喜一憂しない自分をつくる。

子供ができたこと、できなかったことに一喜一憂すると、子供は特別な自分を演じて無理を重ねる場合があります。

無用な心への負担は不登校を長引かせたり、子供の心を閉ざさせます。

なので、親や子供を取り巻く大人や教師が、子供を言葉でコントロールすることはただの身勝手と心得ましょう。回復へ向かうということは、子供が自分の力で前向きに歩めてこそなのです。

不登校は、子供の心が疲弊している証拠であり、一度立ち止まって考える時間が必要なのです。

どんなに焦っても、大人が我慢する時なのです。

・喜びも淡々と表現する。

先程も取り上げましたが、残念ながら不登校の時代は、母親が表す大きな喜びの中で学校に関わること全てがマイナスに働くことがあります。他には、子供が学校に行くことによって、学校の先生や関係者が向ける、大げさな喜び方や、褒め方は、子供の不登校からの回復にとってよくない場合があります。

不登校になってから初めて学校に行けたとしても、喜びは淡々と伝えるよう心がけましょう。

つまらない、くだらない、という意味での『淡々』ではなく、穏やかに『できて良かった』と伝えるのです。

大げさに喜んだり、子供を褒めることで、子供が『喜ばせなければ許されない』と感じたり、『喜ばせることができない自分はだめだ』と感じるようになる状況は好ましくありません。

毎日の暮らしも淡々とを心がけ、感情の起伏をなるべく減らしながらも、感謝と愛情を注ぎ、伝え続けましょう。

『ありがとう』

『よかったね』

『また頑張ろうね』

『できたね』

同じ言葉でも、子供の心をひたすら持ち上げるために騒ぎ立てることの無いように、伝えるようにしましょう。

最後に

今日のまとめは『子供の気持ちをあおるような褒めちぎりはいらないよ』です。

淡々と日々を過ごし感謝を伝えるときも、子供ができたことを褒めるときも、騒ぎ立てず、静かなお母さんを演じるのです。

心の中ではどんなに狂喜乱舞していても、子供には静かに受け入れて頷く自分を演じるのです。とはいえ、心からの愛情は込めましょう。

生活の全てを淡々とこなしていくようにすると、子供は自分の生活や行動の一挙手一投足に特別な意識を持たずに済みます。それはとても大切なことです。

安心して生活を送ることができ、心が落ち着けば、子供は自分の楽しみや望むことを探し始めます。そこから、新たな世界を切り拓く言葉掛けをしていくのです。

一見冷たいと思えるような『淡々と行動すること』も、子供を信じ、成長を待つということから、とても重要なことなのです。

無理に形を変えず、子供のそのままを受け入れていきましょう。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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